全盲の私が行く 一週間の東北一人旅【完全版】
はじめに***
今回の一週間の一人旅の最終目的地は岩手県障害者スポーツ協会様主催のスキー交流会
四年前全盲となり全てを失い生きる自信がなくなっていた頃に
16歳より続けて大好きだったスキーがまたできるとパラリンピックを見て知り
また 目が見えなくてもスキーができるとの思いから始まった
二度目の人生の再起動
そしてなかなか情報がない中でも 皆様の協力で岩手県障がい者スポーツ協会
様のスキー交流会に参加させて頂けるようになり 今回は二回目の参加
昨年中止されたスキー交流会ですが 今年はコロナウイルス対策も
万全にしての開催ということで二日間参加させていただきました
また今年は私がこの世に生まれて60歳
つまり還暦
人生予想図ではこのような現状になるとは夢にも思わず
逆に5年前に生死をさまよったことにより
今は、二度目の人生ととらえてのチャレンジ
そして家族からの還暦のプレゼントで 東北を一周してくる行程もそこにプラスした
旅でした
1年前にこの世を去った嫁と一緒に行くはずだった東北の旅
ひとりぼっちの旅にはなりましたがいつも嫁と一緒にいると思いまた読めと長らく続けてきた郵便局巡りも7年ぶりに再会する旅となりました
景色の見えない私
なので 景観の描写は、ほとんどなく
私の旅の中心は、一期一会の世界での旅となっております
これから何回かに分けて旅行記を書こうと思います
読んでいるときっと飽きが来てしまうのかもしれません
もしよろしければ最後まで読んで頂けると嬉しく思います
********
追記
私が 旅をしようと思ったきっかけは
単純に家の中でじっとしているとなんだか気が滅入って辛いことばかりなので
だったら以前から夢だった旅に行ってみようという単純なところからの始まりだった
若い頃から気ままな一人旅が好きだったこともあり
始めた一人旅だが 実際に行ってみると
今の私の体の状況から見える色々な景色が見えるようになって
その楽しさに引き込まれたのかもしれない
目が見えないのですと言っても光は感じることができるので暗い明るいは分かります
それだけの視力を頼りに行動するのですがその点で感じることもたくさんあり
社会的構造など 施設の環境だったり
例えば 点字ブロックの有無、多目的トイレなど
その町その町に違った福祉関係の携帯だったりお肌で感じたりすることもできる
そしてそれらがこれから私が行くて行くための大きな私自身への課題だったりもする
自分自身を見つめ直し 鍛え直すためにも そして生きている喜びを感じるためにも
私にとっての大冒険
そして旅行をする日程を決め ただ単純に行くだけではなく
その旅行を初日を迎えるにあたって一か月以上も前から
綿密に計画を練り 何度も頭で復唱し想像しそれらを 十分溜め込んでから旅行には出発します
一週間の旅と言っても 今回の旅も
一か月も前から もしかして 私が生まれてから続く 人生の大冒険なのかもしれませんね
3月2日 初日*****
いきなりのドラマが当日の早朝4時に始まった、。
その夜は、寝つきが悪かった
早朝4時5分に スマホに一軒のショートメールが
「03月02日 NH1851 天候調査のお知らせ https://ana.ms/3lxc2A2」
いきなり飛び込んできた情報
青森の天候不良のため 飛行機が飛ばない可能性がありますとの情報が
ただその画面が全盲の私には対応できない
かといって全日空お客様相談センターは、早朝4時では
国内線はまだ営業時間外
ただし 国際線は電話受付してるとのこと
そこで イチカバチカ
国際線の 相談センターに電話をかける
ドキドキしながら オペレーターが 出るのを 待つ
電話口に声が 初めは戸惑っていたが
視覚障害者であることを説明して相談をお願いすると
出来る限りのことは対応しますとの返事で 少しホッとする
少し時間が空き
丁寧に情報を調べてくださった
出来る範囲でアドバイスを頂けた
電話はアメリカにつながったようで
今は、調査中の為 とりあえず空港に行ってくださいと教えていただき
全日空お客様相談センターの対応に心より感謝し
空港に6時過ぎのバスで向かうことに・・・
ねんみつに考えた計画も どうなるものやとの不安と
視覚障碍者として初めての空の移動
など 緊張感は最高潮に
そのうえ 10日前に下見に空港まで行った時の
その時の全日空カウンターの対応にかなり不安がありドキドキしていた
ところが今日行ってみると見事なんだよ
空港入り口で 待っていてくださったり
結局 青森行は、欠航になったものの
乗り換えの提案も 親身に相談していただけ 幾つかアドバイスもいただき
結局、12時55分の仙台域に変更し
仙台から東北新幹線で新青森までのルートと時間も
確認する事が出来
それまで緊張感でガチガチだった私もやっとリラックス
8時前に空港に着き 仙台便までに時間が約4時間
どこで時間をつぶそうか 思案していた私に
空港内も案内してくださり
喫茶店まで案内してもらい 店員さんに事情を説明して下さり
搭乗時間にまた迎えに来ると言って 店員さんにバトンタッチ
するとその店の対応してくれた店員の方がまた素晴らしい
トイレも案内してもらえ コーヒーとハンバーガーで4時間
また ハンバーガーが これまたおいしく
お肉もジューシーで焼いたトマトも美味しく
思わず 初日からのハプニングのことも一瞬忘れるほど
美味しくいただきながら
その間に 仙台からの情報もチェック
今度時間を見つけてハンバーガーだけ食べに空港に行こうと
そんな事を考え 思いめぐらせながら
12時55分の仙台行きの飛行機を喫茶店で待っているところです
初日から「飛んだハプニング」 飛行機だけに
その後 搭乗時間がせまり
案内の方が迎えに来られ 無事飛行機は仙台に向かって
早朝からの ドタバタ劇
でも天候が悪いとのことで誰の責任でもない
後は私がそれをどう楽しむかだけ
リカバリーが得意な私にはもってこい
ここまでで かなりのエネルギーが消耗しました
本来なら今頃、青森でマグロ丼に浅虫温泉での入浴
青森海鮮市場でのウニとサーモンの のっけ丼
の予定だったんですが・・・
そんな事も考える間もなく とにかく青森に今日中に到着出来る事を思うばかりでした
飛行機は、無事 仙台空港に
そこから 東北新幹線に乗り 新青森まで
ここで 仙台といえば牛タン
お昼ご飯も食べてなかったので もちろん駅弁を購入
購入したのは、もちろん牛タン弁当
でも、新幹線の中で食べる予定が なんだか食べる気にならないで
ぼんやりと座席にもたれ 気が付けば 新青森駅
青森駅までの乗り換えで 駅の方が迎えに来てくださり 6時過ぎに青森に到着
そこから 本日宿泊地
チェックインして部屋にたどり着き ホッとしたのと同時に 空腹感と疲れが
ホテルでスーパードライを買い
お弁当を温める為の紐を引っ張り
2分間 その間 頭はボーっと。。。
スーパードライを開け 一気に
温まったお弁当を開け 手探りで 牛タンをパクリ
なんと おいしい事
厚切りジェイソンならず
厚切り牛タン弁当
ほっかほかで美味しい牛タン
それとごぼうの味噌漬けの田舎漬けのピリリと辛くて美味しいこと
マグロ丼ウニ丼ホタテ三昧の予定だったが
牛丼弁当の美味しさで全てオッケー
ユニットバスにお湯を張り 温泉代わりに
今日はゆっくりと休んで明日に備えます
ここで 宿泊の際のワンポイント****
**ビジネスホテルの場合は、部屋の構造はほとんど同じながらも
コンセントの位置、お風呂の蛇口等、シャンプー等の位置など
また 部屋はエレベーターすぐ横をお願いしておくと 対応してくださるので
ぜひ 相談してみては いいでしょう。
さて、明日の朝一番の目的は弘前から乗る五能線
JR の中でも気候に左右されやすい「五能線」
はてさてどうなることやら
そんなこんなで すごく疲れた今日1日
でもこれだから一人旅はやめられない
六十歳の誕生日祝い
嫁が他界してからまる一年
そして初日から忘れることができない一週間の初日
私の人生を例えるなら「ジェットコースター人生」
今回の旅も そんな私の人生の縮図のような 一週間になりそうですね。
そんなこんなで今日1日目は終了
今回 青森で予定をしていた部分は、次回訪問した時までのお預けとし
旅は、二日目へと・・・・
3月3日 二日目***
昨日の朝からのハプニングも無事青森に到着し
二日目の朝を迎えることができた
改めて皆様に感謝
そして一週間の旅をするにつれて今の言葉がたくさん出てくると思うがご了承ください
今回青森で泊まったホテルには朝食がついているとのこと
下のロビーまで降り食堂まで行きご飯を食べるのも少し億劫だと思っていた私にフロントから電話が
朝食を部屋に運んでくれるとのこと
びっくりしたやら 嬉しいやら
私の気持ちを見透かされたようで少し反省
朝食のプレートには手作りのおにぎりが2個と卵焼きと
お漬物サラダ
お味噌汁と
大満足
朝食を終え青森9時4分発の特急つがる2号に乗るためにホテルをチェックアウト
そこでホテルの従業員の方で私を担当してくださる方が駅まで一緒について行ってくれるとのこと
その道中 話が盛り上がり
昨日の経緯なども話
また改めて青森の温泉と 美味しい食べ物を堪能するために
青森を訪れると約束して 駅まで到着
そこで改札に行き本日の行程をお話しし
青森から弘前までの特急券を購入
また、今回の旅も jRの切符は一筆書きで購入
仙台から 青森、秋田 田沢湖を経て 盛岡までの一方通行で切符を購入
そうすれば 有効期限も伸び 途中下車も可能で キロ単価も安くなり お得なので
ルートを 考えるときは 一筆書きが原則となっています。
そのため 今回のルートも 枝葉の乗車券を買い足す必要があり
新青森〜青森 青森〜新青森
弘前〜深浦 深浦〜弘前
上記の区間を買い足す必要があります。
ここで旅行前の話になるんですが
東日本お客様サービスセンターに電話したところ
なかなか対応に苦慮し
少し残念な思いもあったことから
ドキドキしながら窓口へ
すると 駅員さんが 青森訛りを少し残しながらも
買い足しの区間のことも理解していただき 丁寧に対応していただけ 一安心
旅行していて思うんだがいつもそうだ
旅行の計画段階では何度やめようと思ったことか
でも実際現地に出向き一人一人と直接お話をするとその最初のイメージは全く逆の
イメージになっていく これだから 一人旅は、やめられないのかな・・・
そこから特急つがるに乗り弘前まで
車窓からは、一面の雪景色のようだ
そしてあっという間に弘前
駅員さんに迎えられここから本日の目的、五能線
いつもそうなんだが電車を待っている間私はできるだけ駅員さんに声をかける
「忙しい中いつもありがとうございます」
するとそこから話はどんどん広がっていく
弘前駅で対応してくれた駅員さんが女性の方で
他の会社からのとらばーゆ組だそうです
ここだけの話
今の会社に入ってみて驚いたことが山ほど
確か他でもこんなことを聞いたことがあるよなと思いながら
少し笑いも交えながらの談話
「鯵沢」というところから海沿いを走ると教えてくださったり
弘前駅の発着音は津軽三味線だと
するといきなり頭の上で津軽三味線が
いい とってもいい
慌ててレコーダーを取り出し録音しようとしたが スイッチがわからない
それでも私の頭の中にはその津軽三味線が今でも鳴り響いている
そうしてるうちに五能線の列車が到着
本来なら
「キハ」
という型番のディーゼル列車に乗るのが目的だったんだが
分かりやすく言うと
窓の両端をつかみながらあげると窓が開く列車
現在では、早朝と夕方の1往復しかないそうだ それも3月中には終了してしまうとのこと
そして入線してきた列車は、最新車両
ただトイレも障害者対応になっているらしくそこはそこですごいなと思いながら列車に
素朴なレール音をガタゴト聞きながら
時折 汽笛を鳴らしながら電車は進んで行く
想像してみてください
残雪残る荒海の日本海と 並走しながら走る ローカル鉄道
波の打ち付ける音が 津軽三味線に聞こえてくるのは、私だけでしょうか
教えてもらった鯵沢を過ぎたあたりから無我夢中で動画を録画
なんだかんだやってるうちに あっという間で折り返しの深浦に到着
ここでの目的は「セーリング」という店で鮪丼を食べるのが目的
電車の到着時に駅員さんがここでも出迎えてくれ
改札まで
帰りの折り返しの列車の時刻も話しながらお願いすると
これからどこへ行くのですかとの話
セーリングでマグロ丼を食べようと思っていますと私が言えば
だったらそこまで一緒に行きましょうと私を誘導してくださった
ところが店は、臨時休業
肩を落としがっかりしている私に 別の店もありますよとお話ししてくださった
ただそこはタクシーでないと無理なそうで
駅員さんがタクシーを呼んでくださり その店へ
青森県といえば大間のマグロが全国的には有名だし私もそう思っていた
ところが ここ深浦の町もマグロのまちだそうだ
いわゆる大型のマグロではなく 小型のマグロ
そして駅員さんに教えてもらったマグロが食べれるお店にタクシーで行き
おばちゃんタクシードライバーの方と話をしながらあっという間に到着しお店に
帰りにまた迎えに来てもらうことを約束し店内に入り
まぐろ定食を注文
また このマグロ定食が珍しい・・・
マグロも3種類
生食や 加熱方法も
ご飯も3種類
そして陶板焼きの鉄板は一つ
マグロは生で食べるように一つ
片面だけ焼いて食べる様にひとつ
両面焼いて食べるように一つ
ご飯もそれぞれのマグロに合わせた工夫したご飯が3種類
つけダレも3種類
まあどれもこれも美味しかった
満足しているところに店員さんが
小さな声で
よかったらタクシーの車でコーヒーを飲んでいてくださいとプレゼント
なんとまあ
本当に最近の私はすぐ泣いちゃう
コーヒーを飲み干したすぐに おばちゃんタクシーが迎えに
郵便局に寄って欲しいんだとお願いすると
郵便局まで連れて行って下さる
当然なんだろうけどね仕事だから
でも玄関の真ん前まで車をつけてくれる
そして郵便局に入り
嫁と長く続けていた郵便局スタンプの始まり
日にちを見ると7年ぶり
嫁との意志を継いでここから 郵便局巡りは再スタート
手続きをしていると局長さんが私に
さっきは食堂で会いましたよねと声をかけてくれた
しばらくお話をしタクシーにのり 駅まで
そして駅の待合室で待っていると
おそらく年配の男性が私に声をかけてくださった
ところが申し訳ない
何をお話ししてくださっているのかさっぱり分からない
一瞬分かったところは今は
五能線は風に弱く よく運休になるとのこと
後で駅員さんにも聞いた話だが
2月はほとんど運休だったようだ
そして運休になると代回バスというのが走るんだが
最近はコロナウイルスの影響で運休になることも多いようです
おじさんは困っているんだという話だったようです
よって 折り返しの深浦で電車に乗り弘前に向かう
当然 新型車両
これから暖かくなればこの線にはレジャー列車が走るようだ
「リゾートしらかみ」
駅に止まると太鼓の演奏や
色々とイベントを交えた列車の旅ができるようで
またまた青森に来る理由が一つ増えた
深浦から しばらくは、貸し切り状態だったんだが
途中で学生さんがたくさん乗って来られ
先ほどまで静かだった車内が当然賑やかに・・・
弘前には全国でも珍しく 県庁所在地以外の公立の大学がある町で この辺りに 高校 大学が 多くあり 学生さんで 賑わっているようです。
弘前に着き また駅員さんが
ここでも地元の話を色々と聞かせてもらいながら
是非 「ねぶた」には一度来て欲しいとの話を聞き
そして五能線の鯵沢駅にもう一度泊まってほしい旅館があるそうだ
魚の名前は、なんなっけ「渓流魚で幻」と言えば…
ほかにも日本海の夕日が絶景の宿など・・・
まだまた 青森に来る理由が増えた
そして津軽三味線を聞き本日の宿泊地大鰐温泉駅まで
駅には旅館の方が車で迎えに来て来られ
旅館に到着
なんだか旅館の方の対応も少しぎこちない
今回の旅を終えて私の感想にも書く予定なんだが
きっと初めての対応で どのようにしていいのか分からないという点と
東北の人は 少しシャイなところがあるというのが理由だと感じる
そして温泉をいただき
夕食のテーブルに
すると夕食は また おいしい
次から次へと 食べきれないほどのメニューが出てくる
そんな中 仲居さんが私に丁寧に色々と手伝ってくれ
どうやら悩みながらの人生を過ごし頑張っているようだ
なんとか引きこもりから脱出しこの旅館で大事に働かせて頂いてるとのこと
すごく頑張っている話を聞き またまた涙が止まらない
きっとこの時の涙は料理の美味しさと彼女の頑張りが原因かなと
そしてこの晩もぐっすりと就寝することができ朝を待つことになりました
明日は大鰐温泉駅から秋田 秋田から大曲を経て 田沢湖
そこから乳頭温泉へ
旅は三日目と
そう 先ほどの幻の魚
答えは***「イトウ」
3月4日 三日目***
旅館で朝風呂に入り 朝ご飯を頂く
ここでの食事は、品数も多く どの料理も手の込んだ 非常に満足のできる料理ばかりで 大満足。
機会があれば もう一度訪れたいと思い残し
次の目的地に出発
大鰐温泉駅より
秋田県秋田駅から乳頭温泉のある JR 田沢湖駅に向かう
旅館の皆様に 見送られその旅館の 番頭さんが 駅まで私を送迎してくださるとの事
ありがたくお願いし 駅まで
その車の中でお話をし
「私が温泉までの行き方を 一度説明しただけで なぜ次から自分で行けるの」
など色々と聞いてくださり 今後の為になるともおっしゃっていただきました
そして時間があったものですから
無理を お願いし 郵便局に寄ってもらう事に
先日も 書いたのですが
機械ではなく 窓口で100円入金するたびに
郵便局印を押して頂き 昔は、お宝と言って 郵便局印が 何段にも押す事により 一つの風景になるのもあったのですが 残念ながら今は、禁止になったようで
それでも一段の中に その地方の風土が小さなイラストで
表現され その地を訪れた足跡となり 後日振り返るのに
旅日記代わりに 試してみては いかがでしょうか
その後 旅館の方と再会を約束し 駅まで
大鰐温泉駅に着くと駅員さんの方が出迎えてくれ
電車の発車まで時間があったこともあり少しお話をしていただけました
そんな中で私が鉄道の写真を撮るのが好きだという話になり
すると 駅員さんがこの奥に珍しいラッセル車が止まってるんだよと話してくださり
さらに 少し距離があるので私が近くまで行って取ってきましょうとまで言ってくださり 写真を1枚撮ってくださいました
そこには真っ黒なスタイルの雪上車 つまりラッセル車が1台停まっていたようです
(2020年には、ラッセル車には珍しく 普段は機密事項として運航時刻は
公表されないのですが 2月に運行ダイヤを一日のみ公表し 鉄道ファンを喜ばせた
そうです。)
そして大鰐の駅から第三セクターの鉄道も走っており青森及び弘前は学校が充実していることと県庁所在地以外に県立及び国立の大学があるのもここだけだと誇らしげに語っていました
弘南鉄道(こうなん鉄道)(弘南線・大鰐線)
話をしているうちにあっという間に電車は到着 先ほどの駅員さんの話をさらに頭で想像しながら電車は秋田駅に向かいます
昨日の青森から大鰐辺りはまだまだ雪が残っているのですが秋田に向かうにつれ少しずつ雪も少なくなってきたようです
例年なら まだまだ残雪も多いようですが 後にスクールの先生もおっしゃっていました通り 今年は雪解けが一か月早いとのこと
雪解けが早いということはとても良いことのように思うのですがよくよく考えれば日本の自然の中には積雪ということも大事な要素であると感じその雪解けの早さまたは数十年前と比べると雪の降り方または雪の量の少なさにも少し怖さを感じる こともあります
そして JR 秋田駅に到着
そこで秋田駅から田沢湖駅に乗る新幹線の切符を先に購入
秋田から田沢湖までは当初の予定ではローカル線で行く予定だったのですが
新幹線の開通で 田沢湖線の普通電車の本数が かなり減っていた事と
田沢湖駅から旅館までのバスの最終便が コロナウイルスの関係で運休となったことで
ローカル線では、時間が間に合わないとのこと
そこで急遽 新幹線に変更したのです
そしてその秋田駅で切符を買い すぐ近くにある ショッピングセンターに行き
秋田の生酒の三種盛りを 飲む予定にしていたのですがそこまで行くのに自信がなかったので駅員さんにどのあたりですかと聞くと なんと 私が一緒に行こうと言ってくださりそのショッピングセンターまで一緒に行ってくださり
さらにお店のところまで連れて行ってくださいました
トピコ 2F
秋田クラス(自酒三種盛り)
前日の深浦の駅員さんも その後の
一関の駅員さんも含め
いつも感じるのですが
おそらく会社の規則としては、案内は改札までで そのようなことはできないことは
私も以前から認識、確認していますし 体験もしています
それでも駅員さんは 会社の仕事以上にも人間的に私のことが気になり
そのようにしてくださるんだと心から感謝しております
そのことで後で会社に怒られたりはしないかとも思ったりもしますし
そんな人々の思いを考えると 私も頑張らなければと思い 生きる勇気をいただけているのです。
そしてお酒三種盛りの店でオーダーをし お酒が小さなグラスに三つ エビの塩辛を 頼みお酒をいただきます
初めのうちは私に対してどのように対応していいのかわからなかった店員さんも
話をしているうちに 徐々に理解をしてくださり
飲み終わった後どこに行かれますかと聞いていただいたので駅までと
言えば、ではそこまで私が一緒について行きますと言ってついてきてくださいました
そして歩きながら 金賞をとった「モフどら」のことを話しすると
うちの店に置いてますと 急遽また店に戻りお店で3個購入
その後 ショッピングセンターの出口まで送っていただきました
そうなると駅までは何としても自力で行こうと 心に決め歩き出す途中で
ここはトイレですというアナウンスは 聞こえるのですが どちらが右で どちらが左か
左右の起点が分からなく
私にはどちらが男子トイレか分からず戸惑っていると 通りがかりのお姉さんが
どうしたのと声をかけてくださり トイレに寄りたいのですと言うと きちんと
男子トイレの前まで連れて行ってくださりここは男子トイレですよと言って立ち去って
行かれました
このような話は後々いくらでも出てくるとは思いますが
皆様に声をかけていただいて私は毎日楽しく過ごすことができております
点字ブロックをたどり 駅に無事たどり着き
ふと駅弁の美味しいものがあると聞いていたので
そのことを駅員さんに告げると またまた一緒に探しについて着てくださり
これが1番美味しいよと言って「とりめし弁当」を私に進めて下さいました
ここでのミッションも無事終わり 改札を通り 無事 秋田新幹線に乗り 田沢湖へ
秋田駅を出ると 次の停車駅は 大曲 ここまで新幹線は、わかりやすく言えば後ろ向きに進み 大曲から「キックバック」して前向きに変更。
なるほど「大曲」という地名のついた訳が これなんだろうと 勝手に納得し
新幹線は、徐々にスピードを上げて 田沢湖駅に・・・
このあたりから 分水嶺に向かうことで きっと雪深くなってくるんだろうと想像し
先ほどの 駅員さんが進めてくれた駅弁を頂く事に
本当に美味しい 地鳥と卵の2色のそぼろの上に 大きな地鶏が存在感を示し
想像していたより おいしかったので 今度また秋田に乗った時は同じものを
もう一度食べてみようと思うほど美味しかったお弁当です
この辺りで 少し雪もちらついてきたようです。
新幹線に変えたことにより 温泉までの最終バスも間に合い
バスに乗車し蟹温泉までバスはゴトゴトと山道を走って行きます
そして50分ほど走り続けバスはようやく目的の 終点「蟹場温泉」(がにばおんせん)
するとお客さんは、私 一人だけだったこともあり
本来旅館からバス停までは50 M も離れているのですが
旅館の真ん前までバスを止めてくださり 降りて 旅館の階段まで手伝ってくださり
明日はどうするのと聞いてくださり
それだけでもう感激感激 本当に人々の優しさに心はどんどんどんどん癒されていきます
全盲の私が一人で旅をするということは
ある人からは、
「わがままだ」
「迷惑をかけて」と言われたこともあり
私の中では、少し 何とも言えない思いがあったのですが
その思いをすべてけちらし
皆様が私に親切にしてくださいます
旅に出かける度に 一人でも生きていいんだと 勇気と 希望を頂き
明日絵の希望が湧いてくるのも 私の実感です。
そして本日の宿 乳頭温泉蟹場温泉に入館、 部屋に入る前に各場所、浴槽への行き方を
教えて頂けました
秘湯の湯だけもあり 浴槽の種類もたくさんあり
温泉までの通路も長く、上下、左右に曲がる廊下を記憶するのが 本当に大変でした。
ここは 当然露天風呂もあるのですが(ちなみに混浴)
本当の露天風呂なので 雪をかき分けていかなければならないので まさか裸で遭難はできないよねと 今回は、あきらめる事にしました
しっかりその説明を聞き部屋に入り部屋の説明を聞き少し寛いだ頃ご飯の時間となり
これが、またまた豪華なご飯
食べきれないほどの種類と美味しそうな「きりたんぽ鍋」や
ヤマメと味噌を笹の葉で包んでの蒸し焼きや
山菜料理など おそらく目で見るとかなり豪華な料理だったのではないかと思います
その料理を美味しくいただいているなかに ご飯を持ってきてくださったのが茶色い丸い桶
おそらく茶碗4・5杯分は入っているでしょうが 数年前の私なら そのおひつを軽く
からにし もう一つおひつをお願いするほどたくさん食べる男でしたが
最近は1/3も食べることもできず 残すことが大嫌いな私は
少し心の痛い思いをするとともに 若い頃は凄かったんだなと自分のことながら
呆れるやら感心するやらで なんとなく懐かしい感情を掻き立てられたのです
あと、数日で60歳
いろいろな意味で こんな風な人生になるとはと思うと同時に
必死で 走り続けて生きてきて よかったと思い
寛容でいてくれた 周りの方々に感謝し
また 前を向いて生きていく勇気を大切にすることができました。
美味しいご飯を食べ そこから少し休憩をしいよいよお風呂に
この時間になると かなり冷え込んで お風呂に行こうと 教えてもらった通路を歩き始めたのですが 大変
左に曲がり 右に自動販売機があり 18歩歩き 重たいドアを開け 寒い廊下を少し下りながら25歩ほど歩き 最初の階段が 階段を降りると 少し上りに すると階段があり そこを数歩歩けば 左側に看板が そこが最初のお風呂
この時は、これで限界 寒さも限界、何とか湯船に・・・
気持ちいい・・・
浴室までの経路をしっかりと頭に叩き込んだのですが
浴室にまでは何とか行けたのですが
そこに三段階段があるのを忘れていて
少し階段を「だんだんだん」と落ちてしまったのも少し苦い経験かもしれません
*注(時間の経過もあり 詳細には 誤りがある可能性があります)
こんな時こそ思い込みは禁物
渡り廊下で行くこの温泉には外壁の空気がたくさん流れ込みかなり露天風呂に近い環境で
訪れた時は、かなり寒く
浴室までたどり着き ホッとしそして体も温まったところで 部屋に戻り
その日の一日の思いを巡らせたものです
1日の疲れも癒えて行程がイマイチ決まっていない 明日はどのようにして時間を使おうかと想像を膨らまし
行程の確認もしながら就寝につき本日はここまでと
4日へと 続く
秋田県での観光には、秋田県観光協会の方が
丁寧に対応、相談していただきました
本当に ありがとうございました
3月5日 4日目***
本日4日目
さすがに山奥の旅館だけあって
夜はかなり冷え込みました
なので 朝から昨夜行ったお風呂より さらに奥にあるお風呂に向かい
こちらの方がお湯の温度が高いということで
ゆっくり浸かり
誰もいない浴槽で リラックスし 体を温め
次は 朝食
朝食も品数も多く 食べ応えもあるし ニジマスの干物をさっと炙り 骨まで食べ
美味しく頂き この辺り(青森、秋田)の味噌汁には 糸コンが入っているのが 普通のようですね
何もかも美味しく頂き 朝食も大満足で部屋に戻り
9時55分のバスに乗るため 9時過ぎにチェックアウト
そうすると宿の人が 私に言ってくれたことがこれまた
何とも言えない思い出となり
「宿に来てくださってありがとうございます」
「大切な経験をさせていただきました」
と おっしゃっていただいたことです
こちらこそ素敵な旅館に感謝しています
食事もおいしく
手探りながらも 楽しい温泉を満喫してもらおうと
丁寧に 対応していただいたことに 心より 感謝し
出口で オーナーの方に 宿の写真を撮って頂き
駅に向かうバスが
宿からバス停までは、50mほど離れて 残雪も多いことから
またまた玄関まで来てくださり
その後 本来のバス停に行き 他のお客さんを 乗せ
田沢湖温泉駅まで走っていただきました
旅行を計画する段階で 前もって バス会社にも連絡し
バスの時刻等を確認し 相談をする時に私が目が見えないことも告げておきます
すると旅館からのバスが駅に着いた時 バス会社の人が私を出迎えてくれ
これからの時間どう過ごしますかと 声をかけて下さり
「最初の予定通りだと タクシーで角館まで行かれますか」と
「それは少し変更したいと思います」と告げると
最初の予定では
9時55分 ガニ場温泉発のバス
10時43分田沢湖駅 着
タクシーで、「わらび座」まで
わらび座にて地ビール
わらび座よりの送迎バス
12時30分 発
12時45分JR角館着
13時26分 田沢湖行きのバス
14時8分 田沢湖駅 着
羽後交通
上記の予定だったのですが
田沢湖 周遊バスが 走っているとの情報を知り
予定を変更
しかし周遊バスの時間までにはまだまだ時間がありそうです
1時過ぎの出発までに 何か方法はないですかと相談すると
駅の前に物産市もあり そばを食べれるとのことなので
そこまで行きたいと尋ねると 少し距離が遠いので私が一緒に行きましょうと
バス会社の方が 言ってくださいました
それではと バス会社の社員さんが物産市まで行き
私の土産の買い物も手伝っていただき
ご当地のはちみつ 地元の方が作った「いぶりがっこ」などを購入し
満足のできるお土産を買うこともできました
そして蕎麦屋さんにも連れてくださったのですが
まだ 準備中
なので、近くに郵便局はないですかと尋ねると
一緒に行きましょうと言って下さり 歩いていくつもりだったのですが
乗用車に乗せていただき 郵便局まで
帰りも 物産市まで送って下さり 蕎麦屋さんが開店していたので 感謝を述べ 蕎麦屋さんへ
お店に入り お蕎麦屋さんおすすめの天ざるそばを注文
これがまた少し細目で 美味しい そばの量も多いし 天ぷらも美味しいし
そば茶、蕎麦湯も頂き 本来なら この日まで食べ過ぎていたので
少し食事の量を 制限しようと思ったのですが・・・・・
ゆっくりしていていいよと言っていただいたのですが 駅まで行きますと
道順を聞こうとすると 店主の方がお客さんがまだ店にいているのも構わず
私を 駅まで
すると バス会社の方が お出迎え そして周遊バスに乗車
そして動画を撮るなら バスの右側に乗ると景色が取れるよと教えて下さり 右側に乗りバスの発車を待つ
バスは 途中で2箇所ほど停車し 見学の時間を設けています
最初の見学地 辰子姫像「永遠の若さと美貌のため 田沢湖の水を飲み 竜になったとの神話」
に来たところで 20分ほど時間がきましたがさすがに私は外には出ず
バスの中にいると 運転士さんがトイレにとかコーヒーは行かなくてもいいのと
声をかけてくださり 私がいやいやそこまでは結構ですと言ったところ
「すごいね一人で旅をして本当に本当にすごいね」
と言ってくださり少し涙ぐんでいたようにも思います
少し話を聞くと そのバスの運転手さんも人生色々とあったようで
そんな話をするのしていると 皆様が戻ってこられて バスは次の観光スポットまで
そして景色の良い所になると運転さんが教えてくださり 私はカメラを向け動画を
あっという間にバスの周遊は終わり次の乗り継ぎのためまたまた田沢湖駅の待合室で待つことになりました
待合室で 電車を待っている私を先ほどのバス会社の方が 気が付き
「まだ 時間あるけどどうする」
と声をかけていただいたので 喫茶店 在りますかと 聞いて しまったと思った瞬間
一緒に行きましょうと 喫茶店まで
アイスコーヒーを飲み 駅まで戻る道を聞くと
駅まで行きましょうと ママさんが お客様を残して 私を駅まで
すると 先ほどのバス会社の方が 待っていてくれ
電車の時間まで お話しし 固く握手して
バス会社の方と 田沢湖に 別れを告げ 盛岡駅に
初めの予定では、田沢湖では 日帰り温泉に入ることのできない私には、ほんとうに時間を持て余す 行程だったのですが
「一期一会」とは このことなんだろうと 深く思い出に残った場所でした。
最後に 「また来てください」「必ず来ます」「また会いましょう」と
熱く 手を握った感触は 今でも忘れることはありません。
そして電車が来たので 後ろ髪を引かれる思いで次の目的地安比高原まで向かいます
盛岡の駅から第三セクターいわて銀河鉄道
そして途中から JR線に乗り継ぎ安比高原に行くのですが
盛岡駅で少し時間待ちがあり 待合室で待っていると
地元の高齢であるだろうお姉さまが 私にお話をして下さるんですが申し訳ないんですが何を言っているのかわからなくなんとなく申し訳ないと思いながら返事をしていたので今ここで謝っておきますごめんなさい
年齢は84歳ということとお金は全部子供に握られているとのことだけは分かったのですが
元気なお姉さまで私に「気をつけて行きなさい」と思ってくださり
お姉さまのほうこそ気をつけてと思いながら別れ
電車を待っていると 安比高原行きの電車が到着
この路線はルート選択の時から迷っていたのですがというのは人によっては第三セクターの銀河鉄道という人も居れば 三輪戦だという人もいて
何のことやらさっぱりわからなかったのですが実際自分が乗ってみると
なるほど盛岡から途中まではいわて銀河鉄道
そっからは八幡平を越えて安比高原に向かって JR三輪線に続き
奥羽本線の大館まで続いているとのこと
実際 頭で考えていて繋がらなかった路線もこうして繋がっていくんだなと感じました
(次回、盛岡から大館まで乗ってみよう)
そして本日の目的地安比高原スキー場ホテルに到着し夕食もいただき 明日からのスキー交流会に準備して
スキーをすることへの怖さに緊張感がどんどん増していき
怖さもありながらそれを払拭しようとする
自分の思いの行ったり来たりでなんとも眠れない夜となりました
そしていよいよ次の日からのスキー体験に・・・・
次回 いよいよ大好きなスキー
このために 私の3年間は、あったと思える 2回目の人生の
大きな目標
3月6日 5日目6日目***
一週間の一人旅も 早、5日目の朝を迎えることに
昨夜は、宿泊する部屋でインストラクターの先生方と関係者の方と夜の1時半まで
お酒を飲み スキー談話に 盛り上がり
そこからなかなか寝付けず朝を迎えることになりました
あれほどいとも簡単に滑れていたスキー
目が見えなくなったとたん恐怖心でいっぱいに
改めて 目から入る情報の多さ
人間の行動のほとんどが目で見て行動しているのだなとつくづく考えさせられます
話はそれますが
以前健康な頃 私はスポーツが大好きで特に野球テニスゴルフ
そんな中 監督、コーチからは
必ず言われる一言
「ボールから目線を切るな」
つまりボールを見ることに集中しろということなんです
なので今の立場から言うと
あまりにも目から入る情報に頼っていたというのが
今、苦しんでいる 大本なんだろうと
急にその目からの情報が入らなくなる
ほとんど恐怖心もなかったスキーが今では怖くて怖くて
今回の参加の目標は
以前のように滑れるか滑ることができないかの以前に
まずは恐怖心を払拭すること
後は体が覚えていると思うのでそこから先は何とかなると思っています
そんな不安を消して いよいよ初日
今回お世話になるコーチ及びインストラクターの先生達にお世話になり準備を始めます
岩手県障害者スポーツ協会様のスキー交流会での先生方は
各地のスキースクールの校長先生だったりします
「SIA]日本プロスキー教師協会(世界プロスキー教師協会」の日本支部
いわゆるスキースクールの先生の中でも
世界中どこでも通用する免許を持ってる方ばかりで
先生方のクラス分けの中にも色々とスキーの実技以外の試験もあり
もちろん外国語が話せること
マナーであったり
お客様に対する考え方であったり
ただ単にスキーがうまいというだけではなく
それはそれは大変難しい試験に合格されておられる方ばかりで
今回も海外から今回の交流会のためにわざわざ日本に帰って来られた先生も居るようです
そして交流会の目的は
世界でスキーの指導のできる免許の持ってる方達の中で有志の方が
障害者でもスキーが楽しめるそんな技術
指導方法
スキー用具
などを1年間研究模索したことを実際の場で検証するのが一番の目的のようです
そんな先生方に 準備も手伝ってくださり
40年以上靴の履き方を間違っていたことも教えてくださり
本当に準備段階から 皆様に声をかけていただき
私は少しずつリラックスして行く事ができました
ですが 2年前に腰の骨を折り
まだまだ体力も 運動機能も完全ではない私
そんな不安もある中 雪の上をスキーで歩くことが少し難しく感じました
でも今回は、決めていたのです
何も考えないで
体の感じるままに動いていこうと
そのせいか少しずつ体は動き出し雪の上をある程度安定しながら歩き進めることができるようになりました
そしてインストラクターの先生の声掛けと共にリフトに乗り
さていよいよ滑走開始です
もう心臓ははちきれんばかり
嬉しさと 恐怖心
今回こそは、自分に勝つんだと 気合を込め
目で見て滑っていたころとの脱却
しかしインストラクターの先生の言葉がけのおかげで少しずつ緊張感も薄れて
怖さからも少しずつ解放されてきました
そしていざ滑り出し
やはり斜面の傾斜が自分では瞬時に理解することはできない
スキーの先端がどちらに向かっているかもわからず
どうしても 目で見ようとしてしまうのです
視ようとしていても見えないのに
40年以上行なっていたことを急に変えるのはやはり難しくて苦しいことです
その結果体重は後傾になり
板に乗り切れずに
スキーの操作にも苦心しました
そうなると途中で足はもうパンパン
後継になっているためふくらはぎの後ろが痛くて
なんとかリフトで上がった一本は無事滑り折ることができましたがそこでギブアップ
ただそんな中 一瞬ではありますが
板に乗り切った感覚があったのでそれはそれでとっても嬉しい収穫ではあります
しかし ふくらはぎがあまりにも痛い
インストラクターの先生に無理を言って早めに切り上げてもらいました
今日は、この一本で 終了 悔しかったのですが
けがをしては、どうにもいけません
と、ガッツスキーヤーだった私も 今日で60歳
そしてスキーの中の楽しみのひとつ
スキーブーツを脱ぐ瞬間
あの時の感覚だけは目が見えていてもいなくても全く一緒なんですよね
で、本日のスキー交流会は閉会し部屋に戻り少し休み
インストラクターの先生にホテル内のお風呂まで連れて行っていただきまたリラックス
一瞬でも体重が板に乗る感覚があったこともあり
インストラクターの先生の的確な指導もあり
あれほどあった恐怖心はその時にはもうほとんどなく
明日になるのが楽しみとなりました
そしてお風呂に入り
今回の交流会のもうひとつの楽しみのひとつ
参加者全員での食事会
コロナウイルスがなければ本来なら大宴会になるはず
それでも皆様に六十歳の還暦の祝いを祝っていただきまたまた感激
お腹もいっぱいになりお酒もいただき
この日ばかりははやばやと就寝zzzzz
翌日を向かいます
二日目の朝 ふくらはぎの痛い部分は傷になっていたようで
本日のスキーをやめようかとも思ったのですが
せっかくいい感触をつかみかけたのでチャレンジ
すると思いのほか スキーが自分のコントロールの中 滑り出し
斜面の形状がわからないことでの戸惑いはあったものの
気分よく滑ることができました
と言ってもまだまだ健康な時に滑っていた状態とは、程遠いものです
それでもスキーを滑るという単純な楽しみの部分が私の中に
戻ってきたことは間違いありません
帰りのことを考え
お昼ご飯も食べる時間も惜しみ
今回はリフトを2本登り 滑り終えてくることができました
そして今回は太ももの前の方が痛くなる
自分なりの解釈なのですが
太ももの前の部分が痛くなるのは良い傾向だと思っています
二日間の交流会を終え
恐怖心はほとんどなくなり
後はインストラクターの先生が声をかけ指示して下さるゲレンデの形状や状況を
より早くスキーに伝えることができるかどうかということになり来年の課題となりました
ですが全盲になった時一度は諦めていたスキー
生きることも 全ての希望を失い少しやけになっていた私
そこからスキーができるんだということを知り一歩を踏み出し始めた私
そして関係してくださった皆様のおかげで私は今はこんなに元気
まだ少し心の闇はあるものの
それは健康な時でも一緒
そんな中 人生を思いっきり楽しむことができるようになりました
そして今回の交流会でも
たくさんの方々のサポートと共に
たくさんの方々が私に声をかけて励ましてくださり
本当に生きててよかったと
サングラスのおかげで私が泣いている姿は誰にも見られることもなく済みましたが
心の奥底からふつふつと湧き上がってくる
生きるための闘志
今度はこの私が体験したことをできるだけたくさんの方に体験してもらいたい
そして
生きることへの苦しみを
生きている楽しみに
チャレンジしてもらえるようになればいいなと思ってスキー交流会を終えました
スキーを滑り終わった後も
私の着替えやレンタルスキーの変換
または荷物を家に送るための手続き
安比高原特製シュークリームを買い
宴会で出てきた酒の同じものを売店で買い物
全ての事にスタッフの皆様そしてインストラクターの先生が一緒になり手伝ってくださり
心から私を励ましてくださいました
そこから本来盛岡のホテルまでバスで帰る予定だったのですが
インストラクターの先生の車に同乗させてもらいホテルまで
おかげで安心してホテルまでたどり着くことができました
本当に今回の二日間の交流会
関係者の皆様
スタッフの皆様
「SIA」 の皆様
岩手県障害者スポーツ協会のみなさん
私はたくさんの勇気をいただきました
今度は私がそのいただいた勇気をたくさんの方々に伝えるのが私の仕事だと考えています
本当にありがとうございました
そしてホテルまで車で送っていただいで 色々な話をしながら盛岡のホテルへ
盛岡のホテルで一泊しいよいよ明日地元に帰ります
そんな中 ホテルのスタッフの皆様
色々とお気遣いいただきありがとうございます
それからホテル内のファミリーマートの店員さん
10時半まで私働いてるからまた買いに来てくださいねとおっしゃってくださりありがとうございます
今回の一週間の旅も含め
スキー交流会でも
沢山の方々とお話ができ
本当に感謝しています
簡単な文字では表現ができないことも十分わかっています
ただ大事なのはこの体験を頂き 私がこれからどう生きていくか
が 大事だと思っています
私の胸はもう思い出ではちきれそうです
景色は何も分からない私
でも沢山の方々との出会いが
私の心を豊かにしてくれるのです
そして今回の旅もいよいよ明日で終わり
明日の一番の目的は一関での発車音
今回は5日目6日目を一緒にまとめての寄稿となりました
いよいよ7日目
地元に向かっての最終日
3月8日 7日目 最終日***
長い長い一人旅も 今日で終わり
今日は、朝からホテルの人が私に「昨日は申し訳ありません」と声を掛けて頂き
どのように対応していいのかわからなかったとのこと
確かに 戸惑っている様子を 垣間見ることもあったのですが
何とか 私に不便をかけないように 気を使っていただいたこともうれしかったし
解らないときは 気軽に声をかけて下さいと おっしゃっていただいたことで
軽い筋肉痛の私には、十分リラックス出来たので 来年のスキー体験会の帰りも ここを利用しようと決め
ホテルの方に 感謝の気持ちを告げ
ホテルの前の点字ブロックまで 案内していただきお別れし
そのまま仙台駅へ
仙台駅でも丁寧に対応して下さり
その後の乗り換えの案内も連絡して頂き
一関で発着音を録音したいという私の願いまで伝えておいていただけました
そうです 一週間の旅の最終日の一番のイベントは
新感線 一関駅で「 NSP」 の「夕暮れ時はさびしそう」の発車音を録音することだったのですから
はやる気持ちを抑えて仙台駅から一ノ関駅に到着し電車を降りると
すぐ駅の係員の方が待っていてくださり
発着音を録音したいと聞いていますが今録音しますかと言ってくださいました
そしてその場で乗ってきた電車の発車の音を待ちます
その方にこの曲知ってると聞くと
お父さんが一関の発車音が夕暮れ時はさびしそうだと言ってテンション上がってましたよと話され少しなるほどといいながら微笑ましい時間を過ごしました
やはりこの発車音を聞きに来る方が結構おられるようで
さすが NSP の夕暮れ時はさびしそうと感動し
録音しながら なぜだかわからないうちに 涙があふれ
中学2年生の時から始まった音楽人生や 青春のど真ん中 その頃の記憶が映像とともに一瞬で思い出され 戻ることのできないあの頃との自分に一瞬戻れたことへの 感情が
あふれ 本気で泣いてしまいました。
こんな時、サングラスは助かるのですが
この時ばかりは、嗚咽が漏れていたようで・・・
ただ この日の 目的は、無事達成し大満足
そんな中で少し乗り換えまで時間があると言われるので
それなら郵便局が近くにありますかと聞くと
歩いて3分ぐらいのところにありますということで
北改札まで連れて行ってくださいました
本来なら あんないは、ここまで
自分で行くための道順を聞いて
そして改札を出ようとすると
本日はお客様が少ないので 郵便局まで送りますと言ってくださり郵便局まで
するとなんと途中で点字ブロックが終わってるではありませんか
一人だときっとたどり着かなかったかもしれません
改めて感謝を申し上げ郵便局に入ろうとするとそこでまたまた大変なことと遭遇
なんと車が郵便局に突っ込んでいるようで
(幸い けが人はいなかったらしいとのこと)
お巡りさんが大勢集まり
これまた大変な状況になっているようです
そして駅員さんがおまわりさんに聞いてくださり
中に入っても良いとのことで郵便局の入り口まで来たところで
郵便局の方とバトンタッチ
そこから郵便局 めぐりで100円入金し一関郵便局のハンコを押していただき
はがきを1枚購入し 自宅に送付
局長さんも出てこられて 色々と話しし 郵便局を後にし駅まで行くと
先ほどの駅員さんが出迎えてくれ乗り換えの電車まで案内
一ノ関から電車を乗り継ぎ 仙台空港駅まで 何事もなくスムーズに乗り継
(途中 東北の震災で 大きく被害のあった地名の駅に着くたび 心を痛めながら)
仙台空港駅では
仙台空港と 仙台駅 空港駅の中間あたりまで駅員さんに案内していただいたんですが
途中から 全日空の職員の方が迎えに来て来られて
そこから引き続き私を誘導してくださり
搭乗手続きを済ませ お土産売り場でも丁寧にお土産を選ぶのを手伝って頂き
飛行機に 無事 搭乗し 飛行機内の客室乗務員の方に引き続き私を見ていただくこととなりました
そして客室の中でも丁寧に私を案内して下さり
窓際の席に私を座らせて頂き
荷物も丁寧に扱っていただき仙台空港を出発
空港を飛び立つ時から動画をとるため窓の位置を確認し
私は窓に向けて動画を撮影をしていました
しばらくして 「今は、雲ばっかりで 何も見えないですよ」
と 教えてくれました。
バッチリ上空からの景色を録画するつもりだった私は 少しがっかり
そんな私を気にしてか
客室乗務員の方が その後も何度か 時折見える景色を 私に
「今は、右手に雪のかぶった北アルプスが 少し見えてますよ」
「今は、丁度富士山の上を飛行していますよ」
と声を かけて下さり
空港に到着すると 補助の要る私は、最後に降りるのですが その時に
本日の飛行ルート と ポストカードに簡単な絵をかいて 触ってもわかるように
シールを貼ったはがきを プレゼントしてくださり またまた 涙が 止まりません
最後の最後で 思いがけない出来事
残念ながら空港についてからの対応には かなり残念な思いをしたのですが
一人の 客室乗務員の方の 対応で 一週間の一人旅は 見事に完結
そして・・・
空港を一歩出た時だった・・・
バス停に向かって歩いている私に
迎えに来たよ・・・
一瞬 誰だか分らなかったが・・・
友人が 迎えに空港まで・・・
最後の最後まで・・・
なんて 幸せな男なんだと・・・
障害を持った時から 沢山の人が私から離れていった
でも 今では、それは 人生のリトマス試験紙だと思っている
くじけそうになった時でも とにかく一歩前に進んでみる
そこから始まる 新しい人生
今回の 一週間の一人旅
「めいわくかけるのだから」
「自分のわがままだから」
と 言う人も確かに居た・・・
でも 一人旅をしたことから 大切にしなければいけないこと 言葉を
沢山 気づかさせてくれ
前を向くことの大切さ
地位も名誉も関係もなく
自分自身の 勝手な先入観
そんなもの すべて無くし 生きることの大切さ
私は、社会での地位と 視力を失った事によって
幸せに 生きるコツを掴む 大きな経験ができたのではと 感じ
空港を出た とたん体が震えだしたのは、一週間の自分では 気づかなかった緊張感からの 解放感だけではなかったのではないかと思いながら 友人の運転する車で 自宅まで・・・
こうして 私の一週間の一人旅を 無事 終了することができました
今回の旅も沢山の方との「一期一会」
おみあげは、私は、これからも生きていくんだとの強い気持ち
そして 今、悩み苦しんでいる人が
「一人でも 笑顔に」
その大切さを これからも 大事にして 生きていこうと
一週間の旅を 無事 コンプリート
ありがとうございました。
東北の旅 あとがき***
一週間の全盲の私が行く東北の一人旅の式を書き終えて
一言で言ってしまえば
本当に行ってよかった
いつものことなんだけども
私の行動について
「みんなに迷惑をかけて」
「もし何かあったらどうするの」
「自分のことしか考えていないの」
私のことを気遣ってくれて言っている言葉ではなく
どちらかと言うと
私のこと また 私の行動をたしなめているように感じる時があります
でもこの度の一週間の一人旅を終えて
私は大きな勇気をたくさんいただきました
健常者の頃は、何事も自分のことは自分でやる
そして自分自身ではそれを貫き通したと勘違いしていました
そしてそれは私自身のエゴでもあり傲慢さでもあったと思います
確かに自分自身のことを精一杯自分ができる限りやるというところは間違いはなかったとは思いますが
決して私ひとりで何事も完結できたわけではありません
しかし健常者だった頃の私は、そんなこと全く気にすることもなく
自分一人で何でもやってきたと勘違いしていたのです
そして四年前全盲隣
全てのものを
またすべての夢を
そしてすべての希望を失ったと私は思ったのです
その時から一人旅は始まっていたのでしょう
もがき苦しみ
自分が好きだったことをするために必死に情報を集め
どこにでも出向き
「教えてください」
「教えてください・・・」
と あちらこちらに出向きました
ただその時も自分はたくさんの人たちの助けの中で生きているということは
まだ気づいていなかったのではないかと思います
そして四年が経ち今回の東北一人旅
確かにたくさんの方に私が町に出ることによってご迷惑をかけることも十分覚悟の上です
でも旅に出る前は自分自身がまず最初にありきでした
そして勝手に自分自身で不安になり
あれほど冷たい言葉を浴びせられたにも関わらず
自分自身でも不安になり 同じように思ってしまっていたようです
そして初日からのハプニングから始まった一人旅
いつものことですが
出発するまではやっぱり行くのをやめようと何度も何度も思ったものです
ところが一歩前に踏み出すと
出会う人出会う人
私と一度も会ってもいない人ばかりが
私の声かけに対応してくださったり
私が想像する以上の気遣いをしてくださったり
正直 目が見えなくなってほとんど何もできない私
そんな私を出会う人一人一人が温かく出迎え
必死になって私の旅を楽しく終われるよう協力してくださいます
旅行に行ったところで
景色など見えない私には何も楽しみがないのかもしれません
でも私は旅をするたびに気づいていくのです
私は一人で生きているのではないんだと
街の中に出て行くことによってたくさんの方々を巻き込み
そしてたくさんの勇気を頂き
それを私は励ましとし
下を向き加減の自分自身の顔が ぐっと前を向くようになっていくのです
そしてよく 私の声かけに対応してくれた人が言ってくれる言葉があります
「ありがとうございます」
「私も勇気をいただきました」
「いい経験、勉強となりました」
そんな言葉が返ってくると夢にも思っていませんでした
ですが私が街に出ることによって勇気を持ってもらえる人もいてるんだという思いが私もますます勇気づけてくれました
確かに一人で旅行をしていると嫌なこともたくさんあります
でも いつもこのことは私の中にある言葉なのですが
健常者であっても
障害者であっても
嫌な体験や 嫌なことは、どんな時でも
生きている限り ついて回ってくるものなのです
でも一歩踏み出すことによってたくさん勇気を頂けることも間違いはありません
時々タイトルにも書きますが私の気ままな一人旅
確かに気ままな一人旅なんでしょうけど
そこから始まる「一期一会」
そしてそこから感じる 生きていることへの想い
そして人々の暖かさ
生きててよかったと
こんな私だけど生きててもいいんだと
どこに行っても売っていないそんな思いを私の胸の中にたくさんたくさん持ち帰ることができるのが「ひとり旅」のような気がします
今の世の中 色々な意味で悩み苦しみ生きづらい世の中になっているように感じます
無理にとは、言いませんがぜひお勧めいたします
悩んでいるからこその「一人旅」
但し 大切な事
社会人としてのマナーはきちんと守ること
身なりや服装言動には注意をし
男前でなくていいから
心は いつも男前で あれば
ぜひ一度 体験してみてはいかがでしょう
ただし勇気は、要りますよ
もちろん出来る限りの 予備知識
私の場合 一か月も前から行動計画を
何度も何度も確認し 暗唱し
準備万端で 望んでいるんだが
私も毎回怖いと思いながら出発するのですから
一週間の旅を終えて地元に帰ってきた時は全身が震えたものですから
きっと緊張感からの解放なんだろうと思います
これからも私は、生きていきます
今日からも
そして、明日からも
私は、こうして生きて行くだろうと
そして私の生きた後に
何か道が残ればいいなと
そんな思い出をたくさん
私の胸の中に詰め込んで一週間の一人旅
無事帰ってきました
改めて 考えさせられるのは、「できない」と言う言葉
確かに もうできないと感じることは、人生の中では、山ほどあると私は感じる
でもわたしは、「できない」とは、次に進むための入り口だと考えてみようと思う
何か別の方法はないのか
今すべきなのか
時間が経ってからでも良いのでは
まずは、とことん考えてみる
そして 今回の旅を終えて
新しく増えた事が一つ
どうしてもだめな時は、周りの方に助けてもらおうと
その為には、私は 幾時間でも待てる
それもワクワクしながら
これこそが 今回の旅のテーマである
「一期一会」ではないかと
今 私は、今 出会わなくても いつかどこかで きっと素敵な出会いが待っていると
ドキドキ ワクワクしながら 改めて自分自身を見つめ直し
新しい出会いを心待ちにして 時間を大事にしながら 生きて行こうと
一週間 一人で旅をして 出会った皆様が教えてくれた 大切なおみあげが またここに一つ
以上***
今回は長文毎回読んでくださりありがとうございます
これからは
「一人でも多くの人を笑顔に」
たくさんのかたに勇気を頂いた私
今度は私の番
何ができるか分からないが
とにかく必死で生きていきます
これからも 私の一人旅は、沢山の方を巻き込んで まだまだ続く ・・・・
以上*****